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日本经济 (一)经济发展概况 (二)经济技术实力 (三)处在重大历史转折时期的日本经济 (四)存在的突出问题 (五)现任政府经济政策与目标
(六) 日本型経営はどう変わるのか
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日本经济导读 日本的经济在战后以惊人的速度发展。据日本经济企划厅的资料统计,1955~1986年的31年中,GNP(国民生产总额)增长38.8倍国民总资产增长90倍。 如此飞速的经济成长是与日本的各项经济政策有关的。首先在设备投资方面政府提倡技术革新,引进先进技术,其次以低息贷款优先发展工业园区建设,税制优惠政策等都起了重要的作用。 日本的GNP在70年代初达到了世界第2位并持续至今。
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日本政府经济主体构成的三要素(政府、企业、家庭)在日本经济发展中起主导作用·特别是在追求私企利益和社会公益两种经济并存的“混合经济”活动中起促进景气、保障雇佣以实现经济成长的调节作用。
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在70-80年代的两次石油危机之后的日本产业结构:
1,高科技含量大的产业、家电产业以及第三产业发展迅速. 2,社会公共投资增大以及大批在海外建厂生产. 3,日本在农产品、木材和海产品的需求上对进口依赖性很大,目前已成为农产品的最大进口国之一。 另外,目前日本经济的特点是以中小企业为主干,发挥中小企业创新和灵活的优势,由以前的大量生产和大量消费转变为适应多样化需求的多品种少量生产和多品种少量消费。近年来,在一些尖端技术领域和风险企业的成功尤为瞩目。
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日本经济的现状仍未完全脱离泡沫经济的崩溃所笼罩的阴影,甚至包括一些大银行和大保险公司由于难愈创伤而致使相继倒闭。为此,政府于1999年7月通过了一项经济计划,其中提到面前21世纪的三个课题。即①从大量生产型经济体制转化到适合多样化智能时代的经济社会;②提高生产力,维持经济活力,消除高龄化社会和劳动人口减少所带来的负面影响;③克服环境制约,建设与环境相协调的经济社会。
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1、从跳跃式赶超到长期萧条 (一)经济发展概况
1、从跳跃式赶超到长期萧条 在战后最初的10年里,日本在经济方面做了两件大事,一是恢了经济,二是进行了经济改革,实现了由统制(石原正义提出)经济向政府主导型市场经济的转变。 日本将一场石油危机变成了转变经济增长方式的契机,开始了向知识技术集约型经济的转变。
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(一)经济发展概况 2、人口与就业 2001年,日本总人口1.27亿.
2、人口与就业 2001年,日本总人口1.27亿. 日本人多地少,人均耕地面积0.54亩(1998年数字)。由于城市化的迅速发展,大量劳动力转向第二、三产业.
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(一)经济发展概况 3、产业 (1)第一产业 –农林牧鱼 (2)第二产业矿业,建筑业,制造业 1)农林业
日本的农业(包括畜产),雇用人数297万人(2000年),占国内总生产(GDP)的1.4%(2000年)。日本农业基本上是以家庭为单位的小规模经营,其特点是“三高三低”。现代化程度高,成本高,价格高.生产效率低,粮食自给率低,产品国际竞争力低 2)水产业 水产鱼类为日本人的主要蛋白质的来源,每人每日平均鱼的消费量(1999年)为188公克,这是美国、英国的3倍。日本水产业从业人员29万人,而鱼获量为638万公吨. (2)第二产业矿业,建筑业,制造业 制造业是日本高度成长的主角,最近虽然在经济全体上的比重已呈下降,但是就业者 人数还是有1.321万人(2000年),占了国内总生产(GDP)的21.6%的比重。值得注 目的是,现在制造业正进行著结构性的改变与革新:从过去以钢铁及造船为中心,转 为汽车及产业机械、电子等产业,此外制造业整体上也逐渐的移转到高附加价值的技 术密集型的制品。 以下就主要的业种来做概观:
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(2)第二产业矿业,建筑业,制造业 1)建设业 2)制造业 ①钢铁业 ②非铁金属产业 ④家用电子电器产业 ⑤电脑(电子计算机)、电子产业
⑥汽车产业 ⑦造船业 ⑧化学工业 ⑨纤维工业 ⑩制纸业、橡胶产业 ⑾食品工业
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(3)第三产业—商业,服务业 商业 金融、保险业 水电 餐饮 信息通讯业 服务
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(一)经济发展概况 4、对外贸易 5、中日经济关系
4、对外贸易 日本必须在国际市场上换取所需要的原材料,日本对外贸易的基本格局是:出口工业制成品,进口粮食、原材料、石油、煤炭等初级产品。 5、中日经济关系 自72年邦交正常化以来,两国间的经贸关系在不断发展。贸易形式也逐渐增多,从一般的商品贸易发展到加工贸易、补偿贸易、装配贸易、租赁贸易等多种形式。
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对于中国经济的迅速发展,在日本国内有不同的看法,一种“中国威胁论” “中国机会论”
“中庸论”认为可以缩小与相邻发达国家见的经济差距减少偷度,跨国贩卖,绑架人口,偷窃等不安定因素,还可以有利于推进东亚地区一体化进程.
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6,企业经营特征 a)日本式的经营模式 综观二次大战后55年的日本经济及社会情势的历史,日本经济是从1945年战后的荒废与混乱之中,逐渐站稳脚步,而在1955年到1975年之间的日本经济的高度成长急速扩大期而言,可说日本式的经营模式是最为适合的经营模式。 一般认为日本式经营的特征有以下几项特征: 意思决定方式:依禀议制度或会议方式,来作出集体决策。 雇用关系:原则上至退休为止,维持雇用关系,在此期间薪资与职位之提升,按照能力及年资。 资本结构:借入资本远较自有资本比重高,例如向银行贷款筹措设备资金。 生产体制:装配工业如汽车工业、电机等零件大部分向公司外部的工场采购。设备工业如钢铁、化学等则将零件采购、设备操作等委托外部的公司(同一集团的系列公司)。 贸易依存度:原料依赖进口、制品出口等的产业,对海外的依存度很高。
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b)有关企业决策的构造 日本大企业的决策的特征,有其集团性的性格特征。典型的决策方法,是将这一连串的事务流程称为禀议制度,现在的企业及官方一般都采用此方式。首先,计划的经办者将企划案以文书形式(征询书)制作后,从直属上司开始,按照组织的程序,依次取得上级的许可。此外,也会征求各相关部门各级负责人的同意,最后再经由决策者裁决。决策者依照提案的重要性,由社长、董事长,部门经理等作最后裁决。承认、裁决的批示则以盖章的方式进行,有时盖章人数会高达20人以上。现在这个制度也被简单化,也有的采用IT的互联网络来做电子化的决策,基本上还是具备相同的风格。
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战后,长期以终身雇用制、年功序列、企业别职工工会被称为日本雇用制度的3个法宝。 日本聘雇关系的有以下个几 特点:
C)雇用关系的特征 战后,长期以终身雇用制、年功序列、企业别职工工会被称为日本雇用制度的3个法宝。 日本聘雇关系的有以下个几 特点: 1,企业采用刚从学校毕业的年轻人做为新进人员。(定期采用)(采用标准) 2采用与否是根据个人的基本条件决定,非按职务之需要而定。工作上需要的各项技能,在企业内训练。(企业内训练) 3,雇用是雇用其人的全部生涯。(终身雇用) 4,根据工作年资决定待遇。(年功序列) 5,一家企业一个职工工会。(企业别组合) 这些是日本一般雇用的习惯,让欧美人士大为惊讶之馀,并引起他们的兴趣。
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现在日本雇用的关系已呈现多样化,而传统上的特征已经有很大的改变,这也可以由下列诸现象来作观察。
○时薪雇员、外派雇员、自由零工等,以打工方式过活的年轻人,及在宅勤务的就业人员增加,造成雇用型态及雇用期间的多样化(时薪雇员、外派雇员等非正式职员的劳动者的比率,在2001年达到27.7%)。(中国雇佣关系也趋多元化) ○随著产业的信息化、软件化(服务业比重的扩大),造成劳动市场呈现流动化。 ○薪资·升级制度,已正逐渐从年功序列型转向实力主义或成果主义。
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d)年功序列·定期加薪 所谓年功序列是指随著工作年资的增长,薪资会提高,职位也随之上升。可是并不是仅依照年龄及工作年资就划一的决定待遇及资格,而是在终身雇用的惯行制度之下,依长期的能力及业绩来决定薪资的差别待遇的制度。
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年功序列的功罪 此制度在日本高度成长期发挥了预期的效果。但是也内藏着下列的几个负面。 ①纵使具备能力而又有业绩的员工,如果未达到最低工作年资,亦不能升迁或得到其所期待的待遇,因而产生不公平感。 ②另一方面,如果可安稳过日子,而且还有不错的待遇及保障,由于安逸会造成缺乏自我启发或改善业务效率的意欲。 ③随著员工的高龄化,但又不能够贡献于企业,造成与执行能力不成比例的总人事费用持续增加。
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e)工作时间 日本劳工每年总工作时间,于1960年时为2426小时达到最高点,到了2000年,则下降到1854小时,这是因为经济上,已经达到丰足的境界,因此社会上也希望更享受生活,同时也与日本政府在1980年以来积极地缩短工作时数的背景有关。具体而言如下: 1)1987年,修正了40年未曾修改的劳动基准法,由原来每周工作48小时,改为按阶段逐渐下降至40小时。 2)1988年,日本政府订定与世界共生——日本经济运营五年计划及规定了其他关连计划,计划中指出为实现每周工作40小时,年度实际工作总时数, 尽最大的可能降低为全年1800小时,为了达成此一目标,必须完全实施周休二日工资制,每年有薪休假20日(须确实休假)及减少加班时数等。
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f)薪资水平 在日本,员工数30人以上企业,月薪平均约28万5000日元如包括每年二次奖金则平均月薪约39万7400日元(2001年)。 日本的薪资特征是大企业与中企业有很大差异,并且年资长,薪资也高。因此有年资续薪的倾向。 拿薪资作国际性比较,依各国汇率来计算,日本薪资水平已非常高,制造业生产劳工的薪资,与欧美诸国的水平相当。在上述的情况下,造成日本产品的价格竞争力日渐衰弱,而国内市场则造成进口产品、农产品等大举入侵,与亚洲各国的贸易摩擦也逐渐显现。此外。日本国内也忧心企业为了追求低廉的劳动成本而稳住海外,造成产业空洞化。
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g)通勤方式 大都市中的通勤方式,以公营或民营之电车、公共汽车为主,自用小客车很少。自用小客车少的原因,加上都市人口集中,通勤电车与公车都非常拥挤。由于许多住家由都市中心往郊区扩散,因此通勤时间都很长,仅单程即需1小时半以上者超过半数。因而甚至偏远地区利用新干线通勤者人数也与日俱增,近来已有部分企业允许以新干线通勤并负担其费用。 大都市以外的工厂,通勤则大都利用自家用的小客车或专用的通勤巴士,相当方便。 h) 在日本的外国人劳动者 根据日本的出入境管理法及难民认定法除了船舶、飞机之服务人员以外,在日居留资格均有其限制。不允许以赴日工作为由入境。对从事贸易、教育、外国宗教团体派遣到日本从事宗教活动者、新闻从业员及被聘请的技术专家等,签证每次可居留三年;留学生、文化活动者,熟练技术员,演艺人员,运动员等.签证最长每次核可居留一年,观光客最长为90天.
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(二)经济技术实力 近十多年来,虽然日本经济一直不景气,但它依然是当今世界仅次于美国的经济大国。 1经济总规模居世界第二,亚洲第一
2人均经济水平居主要发达国家之首 (满意度80%) 3世界一流的制造技术 日本经济的强大主要在于其制造业的发达。日本主要工业部门的技术装备水平和生产能力已赶上甚至超过了美国。1990年,日本拥有的机器人约是美国和德国总和的4倍。 4研发投入居发达国家前列. 5对外收支顺差居世界第一(国际收支顺差或称国际收支盈余即是指某一国在国际收支上入大于出,而国际收支一般是用美元结算,这种结算是在银行之间进行的,但是美元除在美国外其他国家不能直接流通,我国央行就将顺差多出来的美元储备起来,而发行3倍于储备左右(我国就是这样)的本国货币,以维持货币流通量的平衡。顺差越多外汇储备自然就会增长的越多。 ) 6外汇储备最多 7世界最大纯债权国
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(三)处在重大历史转折时期的日本经济 日本近年来的经济低迷,对此提出了许多经济问题。 1,如何有效监测和预防泡沫经济 2,如何解决金融机构的不良资产 3,如何恰当运用积极财政政策的问题等等。
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3、百余年未遇的大转折。 (三)处在重大历史转折时期的日本经济 日本经济增长速度的下降,有其客观必然性。 1, 后发展效应消失。
2、原有经济技术结构下的发展已达到极限. 3、百余年未遇的大转折。 鹦鹉---黔驴---河豚
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(四)存在的突出问题 长期以来,日本经济中积累了不少问题。诸如泡沫经济的能量,绝非短时间内所能聚集;庞大的政府债务、金融体制的缺陷、银行经营机制不健全等问题,都不是最近10年才发生的。只是由于过去日本经济增长较快,对这些问题没能引起足够的注意。即使在泡沫经济崩溃后的最初一段时间里,日本政府也没有真正认识到产生问题的根源所在,仍试图用传统的政策手段振兴经济,结果反而使问题更加严重。
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(四)存在的突出问题 当前,日本经济最突出的问题有以下几个方面。 1、高成本结构
从表面上看,需求不足是制约日本经济复苏的关键问题之一,它导致了如下的恶性循环:需求不足 → 生产不振 → 企业倒闭增多 → 失业率上升 → 居民收入减少 → 消费低迷 → 需求更加不足。但是,造成需求不足的重要原因在于日本的高成本结构。性能类似的商品,日本生产的一般比其他国家的价格高,由此制约了国内外市场对日本产品的需求。
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(四)存在的突出问题 2、产业结构的问题 “地均GDP”的数据从一个侧面表明,在原有结构下,日本的产业发展已趋饱和。自然界借助地价飞涨的方式来拒绝原有产业结构的继续膨胀,并以这种方式将一部分过剩投资“排挤”到海外。但是,在国际大竞争中,日本原有的产业结构如同处在“夹缝”之中。 3、金融问题 4、财政问题 5、通货紧缩有加剧之虞
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(四)存在的突出问题 6、人口老龄化与社会保障问题 2001年,日本65岁以上老年人占总人口的比重接近18%。
日本老龄人口还将不断增加,到2012年预计达到3000万,到2018年将达3500万,2042年达3863万。从老龄人口占总人口的比例看,2013年将达到25.2%,每4个人有1名老人;2035年33.7%,每3个人有1名老人;到2055年老龄人口将达40.5%,平均2.5人中就有1名65岁以上的老人。 日本又是世界第一长寿大国。2005年,日本男性平均寿命为78.56岁,女性平均寿命为85.52岁,由于饮食和医疗水平的改善,日本人的平均寿命还会延长,预计到2055年,男性平均寿命为83.67岁,女性平均寿命为90.34岁。 另据日本2007年版《老龄社会白皮书》,截至2006年10月1日,日本总人口为1.2777亿,65岁以上的老龄人口为2660万,老龄人口占日本总人口的20.8%。 人口老龄化从两方面加重了社会负担,一方面,劳动力人口比重下降使可征收的税源减少。同10年前的1991年相比,2001年度个人所得税预算减幅为30.6%;另一方面,社会用于老年人的生活保障费、医疗费、护理费等迅速增加。2001年度的社会保障费预算比1991年度增长近30%,占中央经常性预算支出的21.2%。在日本,不少人担心现行社会保障制度难以长期维持下去,因此,更加注意节俭消费,储蓄防老。一部分年轻人则拒绝交纳社会保险费。
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(五)现任政府经济政策与目标 1、推行结构改革 改革内容主要有如下几个方面。
(1)加速处理银行业的不良资产,消除过剩债务。为了发挥民间金融机构本身的能力,政府将促进金融机构充分利用特别检查等手段,对债务进行恰当的区分,确保金融机构拥有充分的核销能力。同时,通过债务整理回收机构(RCC)等,积极参与企业的重组与重建。 (2)进一步放松规制。 (3)对特殊法人等进行改革。 (4)调整中央与地方关系。 (5)推进财政税收制度改革。
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(五)现任政府经济政策与目标 2、推进IT革命
2002年,日本政府推进IT革命的重点是:将“e - Japan 重点计划”的5大支柱落到实处,这就是:(1)加速通信基础设施建设;(2)强化信息化教育和人才培养;(3)推广电子交易;(4)实现电子政府;(5)确保信息安全。日本政府拟加快速度,提前实现计划目标。特别是电子政府计划,
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(五)现任政府经济政策与目标 “e - Japan 战略”的另一个重要组成部分是“IT人”培训计划。日本制定了在2005年前成为“IT人”资源大国计划,旨在使国民都能享受到IT革命的成果与便利。 3、2002年及政府的中期政策目标 日本政府的近期目标是:在2002年扭转负增长局面,使实际GDP维持0增长状态。
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日本型経営はどう変わるのか 中国には「一人の日本人は虫、三人の日本人ば龍」という言葉があると、中国に留学していた際に、お年寄りから聞いたことがあります。確かに日本人には、一人一人はおとなしくて平凡なのに、集団を組むと力を発揮したり、普段からは想像もつかないような大胆なことをするといった傾向があります。悪い例を挙げるとすれば、深夜、クラクションを鳴らして走り回る暴走族(ぼうそうぞく)や、徒党を組むやくざ、学校における集団によるいじめ行為だったりするのですが、いい方向に発揮されたのが、日本の高度成長を支えたと言われる生産現場のQCサークル運動や、日本型経営だったのではなかったでしょうか
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日本には終身雇用制・年功序列型賃金・企業内労働組合など、日本型経営を支えた長期雇用慣行が存在していました。これによって企業は大きな擬似家族共同体を作っていたわけです。これを日本型経営と呼んでいるのですが、日本人が「うちの会社」と呼ぶ、この会社と自分の一体感があればこそ、家族を犠牲にしても身を粉にして会社のために働く「働き蜂」日本人を作り、世界第二位の経済大国を作り出したと言えるでしょう。
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しかし、この日本型経営の中には、外国の人が外から観察しただけではわからない特徴があります。それは「根回し」とか「稟議制」とか言われることもありますが、日本の経営には欧米とは企業の意思決定のシステムに大きな違いがあるのです。日本の多くの企業では、経営がトップ・ダウンで指示・命令を下すというようなことは極めて稀で、ほとんどは担当部門が提案し、関連部門が話し合いつつ原案を調整・修正(「根回し」)し、関連する課が提案を回し読みして同意をもらい(「稟議制」)、最終的に経営トップの承認を得るという慣習が定着していました。ですから、公式の経営会議に先だって各部門の事前のコンセンサスがあるわけで、会議は意見を戦わせる場ではなく、お互いの意思確認の場なのです。社長とは意見の調停者であり、最終的な決裁者というわけです。
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このできるだけ多数決は避けて、調整しながら共同体全員の合意形成を進めるというのは、伝統的な「和」の文化そのものであり、日本の企業ばかりでなく、政策を決定する国会もそうだったのです。確かに、外からは意思決定のプロセスがわかりづらく、意思決定に時間がかかりすぎるとか、責任の所在が不明確になりがちだとかいった問題点があるのですが、一旦決定されれば、一気に組織全体が動き出せるという長所がありました。また、一般社員と社長の給料の差が数倍程度で、国民の9割が中流意識を持つような平等社会を築いてこられたのも、このコンセンサス重視の「和」の文化があったからでしょう。
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昨今、経営者のリーダーシップが強調され、能力主義とトップ・ダウン式のアメリカ式の経営がもてはやされ、終身雇用制を柱とする日本型経営を否定する動きがあるのですが、実は会社再建のために契約制や成果主義を導入して成功した例はあまり多くないのです。それは個人主義の伝統に立つアメリカ式経営は、日本では社員の会社へ忠誠心を失わせ、労使関係を損ない、勤労意欲を削ぐ結果になったからです。事実、日産自動車の経営危機を克服して再建した最高執行責任者カルロス・ローン(元ルノー副社長)は、終身雇用制の堅持を宣言し、「社員の企業再建への労使一体の熱意こそ、日産を蘇らせた。」と評価しています。
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日本型経営はどう変わるか、どう変わるべきかというテーマは、今後もいろいろ議論されるでしょうが、経営というのはすぐれてその国の文化に根ざしているものであって、その国の文化を無視しては成り立たないと思えるのです。 ~際(に) ~ばこそ ~に先だって ~がち ~づらい ~ては?
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戦後日本高度経済成長期の歴程 周知のとおり、日本は国土が狭く、資源が乏しい島国で、エネルギー資源と鉱物資源などは主に国外から輸入することに頼っている。戦前は後進の資本主義工業国で、工業技術水準も経済の構造も欧米の先進国と比べてたちおくていたのである。それに、第二次世界大戦の中には敗戦国でもあって、その国民経済は、厳しく破壊されていたのだから、戦後、日本国内外の輿論は日本経済の前途に対する見当が悲観的であって、日本国民の生活は『戦前の水準に回復しようとしても、ただ遥かな将来の一つの夢である』と普通に思われていた。でも、ただ20年を経て、50,60年代の高度成長によって、日本はもう工業技術と経済実力の上で、欧米の先進国と肩並べて前進する世界経済大国になっていた。日本は明治維新から打ち立たれた欧米先進国を追い駆ける目標がもう実現されたと思える。
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1950年、その工業生産額はただ資本主義の世界の1
1950年、その工業生産額はただ資本主義の世界の1.4%を占めるにすぎなかった。しかし短い国民経済の回復期で、その国民生産総額と人当たりの国民生産総額は、1952年と1955年にそれぞれすでに戦前の水準に回復した。その後、経済は速く発展して、国民生産総額の年平均の成長率は50年代に22.8%に達して、60年代は11.1%に達して、70年代は5.3%で、これらは皆同期のアメリカと西欧各国の発展速度より著しく高かった。その中に、1955年から1973年に至るまでの時期は日本経済の高度成長期である。60年代の末になって、日本はすでにアメリカとソ連を除いた三番目の世界経済大国になった。1979年、その国民生産総額は9739億ドルに達して、ソ連の10855億ドルの水準に近付いたが、一人当たりの国民生産総額はすでにソ連より大いに高く、ソ連の2.1倍になった。 1980年の末、日本の金外貨準備はソ連の4.9倍であった。世界工業総生産量における日本の工業の比重はすでに40年代の1.2%から80年代の初めは10%に上昇した。それと同時に、日本の対外貿易の輸出額も同様に速く増えて、アメリカと連邦ドイツに次いで、世界の三番目の貿易大国になっていた。
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高度経済成長の基本的な条件と原因 戦後の日本経済は、10年間は回復と改造の基礎上で、50年代中期から約20年を使って、歴史上、めったにない急速な成長を実現した。日本は資本主義の世界米国に次ぐ第2の経済大国になった。それでは、日本の経済が実現して世間の人の注目した急速な成長の原因になることを促進するのは一体何であったのであろう。 戦後日本経済の高度成長は帝国主義政治と経済の不平衡規律に制約されて、また具体的で、特定な国内外の条件の下で出てきたのである。 <1> 国際環境から見ると、50年代中期~70年代中期は世界の資本主義経済において、大幅に発展する時期であったことがある。また、国際市場上の石油、工業原材料と農産物の生産高は急激に増して、供給は十分で、そのうえ値段は安くて、これは資源の乏しい日本にきわめて有利な原料の条件を提供したことである。 同時、戦後に新しく独立した国とその他のいくらかの発展途上国は民族工業を発展するために、同様に切に国際市場から各種の機器の設備を買うことを必要とするから、日本の工業製品に広い国際市場があるようになったことも大きな要因である。 日本は他の資本主義先進国が気を配る暇がないことを生かして、その経済的勢力は真っ先に東南アジア市場を占領して、それとともに、これをもって基礎として絶えずにその国際市場を拡大した。
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国際有利な環境もアメリカの育成の上で作られたものである。戦後初期、アメリカの大量の各種の形式の“援助”と“貸付け”は日本の経済を発展させる重要な資金源になった。またアメリカが朝鮮とインドシナの戦争に介入したため、日本へ軍事に対しての商品注文を急増させたことも要因である。これによって日本経済の迅速に回復し発展することに対して、1種のきわめて重要な“栄養をつける”行為になった。戦費を出すことを通じて、日本の経済発展のために資金を蓄積させたのである。 国際に有利な環境は戦後世界的の第3回科学技術の革命に会ったことが日本にとっていいチャンスであった。日本の工業の設備が戦時に破壊された、あるいはすでに非常に古かったが、戦後積極的に欧米から先進的な技術を導入して、迅速に設備を更新して、それによって更にすぐに労働生産性を高めることができたのである。 <2> ただし、日本の経済は順調に発展してそれとも主に国内の条件にかかるのである。 まず、日本が経済的土台は元から強かったことである。戦前経済の発展スピードはその他の資本主義国家より高かったのである。
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その次に、日本は一貫して人材の開発を重視して、教育を重視して、十分に本国における文化と科学的な素質の高い人材が豊富であるという資源条件、及び給料は欧米国家より低いという優勢を発揮して、その製品を品質が高く、コストを低くさせて、それによって国際市場上でより強い競争力を持つようになったのである。 第3に、日本はその地理環境と地理の位置の優位を発揮して、その経済的発展の大切な動力にした。特に島国アロケーションと太平洋沿岸の優良な港湾を利用した。また、沿岸を埋め立て、大型な工業基地を新築し、深水の港を掘り、低い運賃によって国外から大量の原材料と燃料を輸入し、大量で工業製品を輸出することに便利にさせた。これはこの日本の加工貿易型の国にとってきわめて重要である。
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第4に、日本の暮らしは勤勉節約で、貯金率はきわめて高くて、国家の経済発展のために資金を蓄積して、本国の経済発展をも促進させたことは、容易に想像できよう。
第5に、戦後の日本の軍事費の支払いは少なく(財政支出のの比率の1%未満)、人力、財力、物資を経済に集中させたことは、経済を発展させることに利益があった。 それ以外に、戦後の初期、日本は政治、経済でいくつかの改革を行い、政治の情勢は比較的に安定させた。これまでの経済に対する毎期政府の科学的管理の重視、各条項経済政策の実施と公共の施設の建造は、すべて強力に日本の経済の迅速な発展を推進させた。
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1,日本今后的经济发展你认为有哪些有利于经济发展的有利条件? 2,什么是后发展效应,其效应能长期存在吗?
質問 1,日本今后的经济发展你认为有哪些有利于经济发展的有利条件? 2,什么是后发展效应,其效应能长期存在吗? 3,作为后发展国家,要保持经济长期持续稳定地增长,要搞好哪两个阶段的衔接? 4,日本政府经济主体构成是哪三要素? 5,日本战后经济取得长足发展的要因是什么? 举出5条要因 6,日本式的经营模式? 7,简述战后日本经济复兴
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问题一 1勤劳的国民和高素质的劳动力 2高教育,教育的发达使国民的平均素质提高 3团队精神,爱社如家 4高储蓄率及充裕的资金 5世界一流的制造技术 问5 政府 企业 家庭
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问题2 1后发展国家模仿和引进先进国家的先进技术,从而使本国经济迅猛发展,如不在后发展效应消失之前具备自主开拓发展能力与机制,其效应会减弱,或消失,经济增长必然会下降. 2这两个阶段是追赶型经济发展阶段与自主开拓型经济发展阶段
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4,日本政府于1999年7月通过了一项经济计划,其中提到21世纪的哪三个课题?
①从大量生产型经济体制转化到适合多样化智能时代的经济社会;②提高生产力,维持经济活力,消除高龄化社会和劳动人口减少所带来的负面影响;③克服环境制约,建设与环境相协调的经济社会。
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